楽々ライフ

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水戸旅行

 昨日は、水戸藩徳川斉昭が造った偕楽園に行った。日本三名園の一つだ。開園180周年ということで、チームラボが光の祭という体験型芸術展を見に行った。

 恥ずかしながら、偕楽園を知らなかった。茨城県は4月からの転勤先のため、何となく茨城新聞で情報をさらっていたら、たまたま梅祭りを知った。毎年春に梅の花が咲き、この時期は多くの観光客で賑わう観光スポットらしい。しばらく仕事でお世話になりそうな茨城県のことを何も知らないのはまずいと思い、とりあえず行くことにした。

 所要時間は1時間程度の近距離で、上野駅から常磐線特急列車で1本だ。のんびり電車の窓越しに外を眺めていると、東京から松戸あたりまでは見慣れた無秩序なビル群や住宅街で風景は覆い尽くされているのだが、取手あたりになってくると急に視界が開けて平野が広がった。関東平野は日本一らしく、水平線を海以外で見るのは久々だ。トラクターで農作業をしているおばあちゃんも窓越しに見え、都心から少し距離を離れただけで、ここまで風景が変わることが不思議だった。たぶん、都会が異常で、こっちが通常の日本の原風景なのかもしれない。

 田園風景をぼんやり眺めているうちに、車掌さんのアナウンスで偕楽園駅到着が知らされた。席を立ち電車から降りる観光客は多く、私も荷物を持って降りると、外は老若男女でごった返していた。こりゃあ、入園するのも一苦労な予感がした。偕楽園は高台にあり、人々は階段に列を成して登っていた。後ろを振り返ると千波湖の景観が綺麗で、その周りをサイクリングやジョギングをしている人がいた。地元の人にとっては日常風景で、偕楽園と同様に地域に根付いている雰囲気はあった。東日本大震災による放射能汚染の風評被害で観光客は減ったらしいが、あまり影響は感じられなかった。喉かで和気藹々としていた。

 屋台がたくさん並んでいて、さっそく入園すると、辺り一面が梅が連なっていた。梅の知識は不勉強でよく分からないが、非常に形が整っていて、物凄く緻密に計算されて造られた庭園であると感じた。桜のような派手さには劣るも、どの梅も丁寧に咲き、控えめながらも堅実に花開きしていた。約100品種3,000本の梅がこの庭園に植えられているが、なぜ梅なのだろうと思った。

諸説は多様にあり、梅は別名「好文木」とも呼ばれ、中国の晋の武帝が学問に励めば花咲くと問いた。徳川斉昭弘道館で文武卓越した人材育成を行い、尊王攘夷思想に基づく欧米列強へ対抗手段としての想いを梅に因んだとも言われている。偕楽園内の好文亭は名は体を表している。また、梅は飢饉時に食用になるため、災害対策として植えられたとも言われている。非常にコンセプトメイキングが上手い人で、ただの象徴としてだけではなく、実務も兼ねているところが水戸藩を統治する上でも合理的だなと感心した。

この庭園は他の三名園に比べると、なんというか、遊びはあまりないように感じた。それが良い悪いとかではなく、無駄を削ぎ取った堅実な庭園という感じなのだ。徳川斉昭は贅沢をを嫌う倹約家だったことから、奢侈を尽くした他の庭園とは違う趣きがある。思うに偕楽園は、農民の憩いの場としても開かれていたことから、反感を買わないよう配慮されていたのではないか。農民への感謝が本物だった徳川斉昭らしい心遣いだと思う。

チームラボの光の祭りは18時からのため、一度偕楽園を出て、バスで水戸駅に移動し、茨城県近代美術館を目指した。途中で駅ビルのパン屋に寄ったのだが、店員さんはなんかシャイな感じだった。そういえば、偕楽園の時も案内係の人に道を聞いた時も、恥ずかしそうに案内していた。そういう県民性なのか。

パンを食べながら水戸駅から桜川を沿うように徒歩で美術館に向かった。東京に比べて景色が圧倒的に開けていて、開放感があった。ビルが遮らない景色を久々にみた気がする。人も少ないし、人口密度も低い。率直に快適な環境だ。サイクリング王国だけに、本格的なロードバイクの装備で走っている人が多く、道路も自転車専用に舗装されている。私も愛用のロードバイクを持っているので、転勤したら爽快に走りたい。

水戸駅から15分ぐらい歩くと、目当の美術館が見えてきた。さっそく中に入ると、今は企画展で風景画を展示していた。私自身、美術館はたまに行く程度だが、そういえば風景画はあまり真剣にみたことなく、普通は通り過ぎてしまう絵画の類いだ。実際に見ると、風景はフランスやオランダの自然の中に生きていた人間が素朴に描かれていたのだか、どこか茨城県の自然の中に住む人達を連想させた。茨城と自然は切り離すことはできないし、共生を意識させられた。

常設展は日本画家の自然をモチーフにした作品が多く飾られていた。これはあくまで好みの問題だと思うが、自然を描かしたら、日本人のほうが絶対に上手いと思う。葛飾北斎富嶽三十六景を見た時から思っていたが、自然の連続性の捉え方は絶対日本人の上手だと思う。

勝手に日本人を誇りに思っていながら時間を見ると、チームラボの時間が迫ってきた。なお、偕楽園駅は終電が15時半で無く、美術館の近くにバスもないため、結局徒歩で戻ることにした。千波湖を時計回りに半周2km歩けば到着するので、ちょっとしたハイキングだ。

千波湖も色々歴史があるらしい。人馴れした白鳥と黒鳥が悠々と泳いでいる。静寂な雰囲気だが、この湖は見かけによらずとても汚いのが驚きだ。川とつながっていないため、水が滞留し浄化されないらしく、埋立案も出た程だ。戦後の飢饉時は水を抜き稲を育てたり、星野リゾートに魅力を引き出すためにプランニングを考えてもらったりと、色々と話題に欠くことない湖だ。地元の葛飾綾瀬川もそうだが、やはり水が汚いのは気になる。土木事業は金がかかるため、優先順位をはっきり決めて再開発したほうが良いと思うが、水質から手をつけたほうが良いのでは?

千波湖の行く末を考えながら、家族連れやカップルで賑わっているなか、のんびり一人で歩いている私。時間もチームラボの時間になってきて、偕楽園の入り口までたどり着いた。目の前に飛び込んできたのは若者の長い行列。1人でくるおじさんは皆無で、意外だった。

ともあれ、その長い列に並んで30分。やっと列が進み、光の祭典に足を踏み入れた。

圧巻だった。昼間来たから余計にその差を感じるのか、全く別の庭園に来たみたいだった。闇の中に浮かぶ光が梅の木を照らし、別の様相を露わにしていた。

何故か儚さもあった。江戸時代から埋められた梅の木は、根が地面に生やしている昼間の姿は、逞しくて頼もしさも感じた。けれど夜は、太陽が無いから生命活動は緩やかなのは当然だが、今にもそれが無くなりそうな感じなのだ。枯れるとかではなく、奇跡的にこの地に残り続けた儚さというか。長年の時を乗り越えて、私の目の前に残っている梅の木にただ圧倒された。

たまごのシルエットも神秘的だった。解釈が違うかもしれないが、歴史ある庭園を再解釈するという意味合いがあって、生まれ変わりの意味でたまごなのかな?と思った。

チームラボを堪能した後は、その余韻に浸りながら千波湖沿いに2km程歩いて水戸駅に着いた。特急列車の切符を買い、コンビニ親子丼を買い、上野駅に着くまでにゆっくりご飯を食べ、のんびり帰途に着いた。茨城県の夜は街頭がなく真っ暗で何も見えず、徐々に明かりが見えて来たと思ったら東京だった。ビルに囲まれた東京は、やたら狭苦しく感じた。上野駅に降りたら、アメ横には酔っ払いが我が物顔で街を歩いていた。のどかな自然に囲まれた土地から、汚く欲望が渦巻く都会に来た感じだ。私はこんな土地に30年以上住んでいるのかと思うと、住めば都とも言うし、都会の毒に慣れすぎたのかもしれない。