楽々ライフ

楽に生きて、楽しく生きる。

サボり日記

今日は、高崎自然の森公園に行ったり、洗濯物を干したり、好きな本を読んだり、家でゴロゴロしたり、気ままに過ごした。

 

 

 


朝起きた。10時ぐらいまで寝ていた。

昨日は久々にりんりんロードに行った影響か、身体が結構疲れていたっぽい。気付いたら、その時間まで寝ていた。

 


昨日は昨日で、会社をサボった甲斐があって、平日のりんりんロードは人が少なく、人目を気にせず、自由気ままにクロスバイクを漕げた。

土浦アルカス図書館にも本の返却に行けた。平日の図書館というのも、また休日の図書館と様相が違う。

学生が勉強している姿はもちろん、明らかにサボり中のネクタイをしたサラリーマンや、ご高齢の夫婦が仲良く本を読んでいたりと、平日に時間がある人が色んな理由で本を読んでいた。

かくいう私も、最近興味がある古記事関連の解説本がふと目に入り、解説者の少し偏った思考に惑わされないように冷めた姿勢で読み、続きを読みたいから、つい本を借りてしまった。

 

図書館を出たら、いよいよ筑波山方面に伸びるりんりんロードに乗った。相変わらず地面は綺麗に整備され、スピードが出しやすく、簡単に距離が出る。多少、息は乱れ、足に疲労は感じたが、気づいたら、小田城跡に着いた。

平日だということもあり、人はいなく、小さい子どもたちがわんぱくに遊んでいたぐらいだった。小田城は何回も侵略された城らしいが、というか、わざとそのような設計がされているような、城な気がした。

 


そんなこんなで、昨日は、一日中サイクリングをしていた。夜はお気に入りのスタバに11時まで長居したこともあり、帰ってきたのは12時前だった。相当に疲れていたため、すぐに寝てしまった。

 


洗濯物を干し、コーヒー牛乳を作り、のんびり椅子に座って本を読んでいた。天気が良かったので、なんとなく高崎自然の森公園に行きたくなった。何故だか無性に、自然を浴びたい気持ちになった。

 


公園には、愛用のロードバイクで行った。少し肌寒く、手袋をした。会社の目の前を通り過ぎ、公道を走り、農研機構の林に囲まれた道路を通り過ぎ、車に気をつけながら、ロードバイクを漕いだ。今日の走りっぷりは、昨日のりんりんロードでの効果か、なんだが自転車が軽く感じた。

途中、小腹を満たすため、コンビニでおにぎりを買って食べて、近くに神社が見えたから参拝をした。そこは何だか不思議な神社で、小さな石碑が大事そうに鎮座していた。手入れも行き届いていて、とても大切にされている感じはあった。こういうのを心が行き届いているというのだろうか。

それはそうと、高崎自然の森公園に着いた。いつもの駐輪場に自転車を停め、散歩を開始した。私の散歩は特に目的も理由もなく、ただふらふらと歩くだけ。それでも不思議なのは、同じ散歩道なのに、前来た時と違う風に感じられるのが森の凄いところだ。いや、綿密な生態系で構成されている自然は、同じなどあり得ないか。

生きるというのは、いつも同じではない、ということだろう。自分だって、一刻と老いている訳で、1秒前の自分と違う。多分、同じに観たいとか、変化に気付かないというのは、一種の自己防衛で、いつも同じで安心したいのは願望なんだろうな。だから、プラトンイデアを望んだのかもしれない。

自然の厳しさを感じつつ、ちょっと哲学をしつつ、のんびり足を進めた。そう。この公園には、私のお気に入りのベンチがある。そこからは、木が景色を遮っていて、田んぼと丘が見えるだけなのだが、何故か落ち着くパワーみたいのが存在している気がする。おそらく、ここにベンチを作った人も、同じような思ったに違いない。変哲のない場所なのだが、何故か心休まる場所なのだ。そこで、何故か神社に行った時のように、何かに祈りをしたくなる、もしかすると何かあったのかもしれない、そんなお気に入りのスポットがあるのだ。めちゃくちゃ時間と暇がある時に、郷土資料を漁ってみたいな。


桜も散り、若葉が芽生えてきてる。

そういえば、今年は花見をしなかったな。仕事が忙しくて、花見できなかったな。いや、仕事を忙しそうにこなしている自分に酔っていたのかもしれない。仕事は確かに順調で、小さな努力が実を結び、成果が出た案件もいくつかあった。あまりにもヒットが連発したから、つい天狗になり、自分に自惚れていたのかもしれない。柄にも無くだ。

 

それにしても、生態系というのは横着で、葉は虫食いされてるし、キノコが寄生しているし、生きるというのはある程度図々しくないとダメなんだとつくづく思う。もちろん、度を超えた図々しさを身を滅ぼすのだろうけど、日本人がお得意ないい加減とは、生態系のいい加減を模倣したのではないかと思う。山岳思想や道祖神もそうだが、目の前の自然に敬意を払うというのは、古来から日本に住む人々が行ってきたことだ。自然体とはきっと、いい加減で図々しくて、けれど節度を持っている有様なのだろう。勝手にそんなことを、目の前の木々を見ながら想っていた。

 

ある程度散策したら、ロードバイクに跨り、帰路についた。車は少なく、のんびり帰って来れた。最近、陽が落ちるのが遅く、17時でもまだ明るい。あとは、帰って、ゴロゴロして、また寝るだけだ。

 

それでは、お休みなさい。