楽々ライフ

楽に生きて、楽しく生きる。

柴犬のように

朝7時に起きた。

 

昨日の仕事の余韻がまだ残っている。進めているプロジェクトの課題をやっつけて、興奮気味に帰宅し、そのまま寝てしまったからだ。つくづく思うのだが、中々オンオフの切り替えが上手くいかない。

けど、朝飯のパンと麦茶を飲んだら、また眠くなり、そのままソファで寝てしまった。

 

次に起きたのは11時。

 

私は人から、「良く眠る人」だと言われる。母親には、「寝過ぎて人生損している」と言わしめた。

けど、それじゃ生活が成り立たないので非常に残念だ。健康にも良くない。

 

とりあえず近くのローソンで、ホットカフェラテを買って、暖かい日差しに包まれながら、プラプラ近所を散歩した。

休日の私は、仕事中では考えられない程歩くのが遅く、顔もだらしなく、目の張りも無い。果たして、どちらが本当の私なのか最近よく分からなくなってきたが、変なストレスも溜まっていないし、「ま、いっか。」で済んでいる。

 

近くの公園のベンチに座り、ぼーっと、手元のカフェラテをちびちび飲み干し、天気の良さを味わっていた。昔飼っていた柴犬が、よく外で気持ち良さそうに寝ていたのを思い出した。飼い犬は飼い主に似ると言う所以だろうな。

 

しかし、日常というのは、案外サボるのが難しい。

 

帰ったら洗濯をして、皿を洗い、掃除機をかけ、クイックルワイパーで部屋を綺麗にした。気づいたら14時だ。

最近、掃除が苦にならなくなってきた。というか、掃除をしていると、心のモヤモヤが流れ出ていく感じがして、掃除が終わるとなぜか、何を悩んでいたのか忘れているパターンが多い。たぶん、解決したか、悩むに値しないと脳が判断したか、いずれにせよ頭の中がクリアになる。

 

せっかくの良い天気なので、テニスグッズを揃えるために、自転車でゼビオに行った。来週、会社の人たちとテニスをやるからだ。

暖かい日の自転車は気持ちよく、あまりスピードを出さず、のんびり漕いだ。桜は散って、葉に緑が増えてきた。まだ、たんぽぽはある。花も咲いてきたし、いよいよ春という感じだ。

 

ゼビオにつくと、ふとそこで、仕事モードになった。社員の福利厚生を充実させる一環で、テニス交流会を開く。多少なりとも会社のロジックを考慮する必要がある。合理的思考が流れ込んでくる。エンゲージメントを高めるという意味では重要なイベントだ。全ては生産性向上だ。

 

けど、それだけで本当に良いのか。

 

会社のロジックというのは、案外単純で、社員が生き生き元気で、生産性がある程度あれば、それで良いのだ。それ以下でもそれ以上でもなく、その状態で居続けることが望ましいとされる。

 

果たして、それが良いか悪いか、最近分からなくなってきた。

というか、それに良いと悪いもなく、あくまで望ましいというだけで、今はそういう状態なんだなと、受け入れることが大事な気がしている。なんせ、生き抜くというのは、悪いこともあるし、良いこともあるし、どうしようもないこともある。ただ、受け入れて、生き抜くしかないのだろう。

 

目的のテニスボールを購入し、ゼビオを出た。今日は風が強い。あとは適当に帰るとしよう。自転車を漕いだ。

 

いつもと違う帰り道にした。すると、小さな鹿島神社があった。何となく入ったら、まだ日が明るいというのに、光は木々に遮られ、静かで荘厳な雰囲気に包まれた神社だった。そこには、12社殿あった。まずは、目の前の1番大きな社殿に向かい、参拝した。次に小さな社殿に参拝した。

 

石碑にこの神社のあらましが書いてあった。

二十年前ぐらいに、この辺りでバイパス工事があり、国が土地を買収し、その金で神社を移動させたという。そのため、小さな敷地に12社殿もある。

 

その後、会社に寄って、テニスグッズを置き、休日なのに働いてる社畜社員を冷やかし、自宅へ帰った。

 

自宅に帰ったら、何となく勉強したくなってきた。秋に試験がある。ビジネス実務法務検定2級テキストを開いた。あれこれ知らない単語を調べたりしていたら、あっという間に夜になっていた。一度熱中すると、あっという間に時間が溶ける。この性質は、自覚しつつも、中々にコントロールが難しい。気分屋だけど、ハマると集中力を発揮する。自分と折り合いをつけるのは、本当に難しい。

 

さて、今は11時、夜のランニングしてから、シャワー浴びて寝ますか。テニスのために、身体作りをしておかなきゃ。

 

おやすみなさい。