楽々ライフ

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自分にとっての仕事とは?

先週、他部門の若手が退職届を会社に出した。

支店の総務機能を担当している私も、オブザーバーとして本人と面談したが、印象は職務のミスマッチであった。

私が所属している会社は建設業であり、成果主義であり、厳しい世界だ。その新人にとって、現場で己の技量でバリバリと働く職人がカッコよく見えたのだろう。

しかし、物見遊山で入社したものの、自分がカッコ良い職人になれないと悟り、逃げるように退職届を出した。

これは、会社にとっても不幸だし、本人にとっても残念な結果である。人事がどのような甘いキャッチコピーで会社に誘ったのかは知らないが、ミスマッチである以上、雇用継続は難しい。

 

とは言いつつも、私も27歳の頃には新卒で入った会社を辞めた。

理由は、メーカー営業という仕事に骨を埋める自分が想像できず、仕事にやる気が無くなってしまった。無理難題を言うお客さんに振り回され、それでも何とか妥協点を見つけて報酬をもらう職種にやり甲斐を見出せなかった。

もちろん、私がお客さんのところに性懲りも無く足通い、注文を取りまとめ、契約にこぎつけた時はやりがいがあった。

しかしそれ以上に、品質改善のために職人と喧嘩しながら相談しあって、試行錯誤で製品を送り出せた時の方が、喜びが大きかった。また、大量な注文を整理して、ライン管理のおっさんと、オペレーターの製造能力に合わせて生産ラインを組み直して、生産的に大量の注文を出荷した時もやりがいがあった。私はどうやら、課題に対して、チームで一緒に考え、解決していくことにやり甲斐を感じていたらしい。

よって、個人商店のような営業スタイルは、どうにも性に合わなかったし、自己分析方法も知らなかった。結局、モヤモヤした嫌悪感を感じながら、何となく会社を辞めてしまった。

 

やはり、自分にとって何にやり甲斐を感じ、何を楽しさを感じるかが重要だ。意義のある自己認識しないと、価値観の軸というものが見えず、次の仕事を適当に選ぶことになり、仕事は長続きしない。組織のビジョンやバリューなどはなんとなくあるが、そんなことは個人単位ではどうでもよく、たまたまマッチしていたらラッキーぐらいが、現実だ。

 


仕事とは何か、そのテーマについて考えると、私はチームで生産性を高めることにやりがいを感じる。そのため、マネジメントには非常に関心を持ち、チームを有機的に機能させ、成果を上げることを重要視している。

また、チームという概念は私にとって非常に拡張性のある考えで応用が効く。500人規模の会社もチームとしてみなせる。私は社長未経験だが、大規模なチームでもどのように連携し、成果を上げていくかにもやりがいを感じると思う。

 

最近まで、会社を管理する立場になった以上、目の前の若手をいかにして引き止めるかに腐心していた。しかし、若手の人生を考えると、肌感覚で合わない会社はさっさと辞めて、次の職場に行った方が良いと思う。そういう意味では、さっさと辞める若手というのは、自分の人生を真剣に生きようとした結果なのかもしれない。