楽々ライフ

楽に生きて、楽しく生きる。

小さな庭

日常生活とは何かと言われたら、私は「小さな庭」を思い浮かべる。

6歳ぐらいまで、高円寺のボロボロな団地に家族で暮らしていた。母は子育てのために在宅で英語翻訳の仕事をし、父は駆け出しの広告マンで、まあまあ貧しかった。トイレも汚く、風呂場も相当だった記憶がある。親たちは今の暮らしをより良くしたいと思い、のちのち中野区に新築一軒家を建てて引っ越すのだが、私にとってその団地は楽しい思い出が詰まっていた。そこには、小さな庭があって、そこで一日中楽しく遊んでいた記憶が今になっても鮮明にある。

小さな庭には青々とした芝生が広がり、綺麗なチューリップが咲いて、団地の誰かが育てた家庭菜園があり、なぜか貝殻が土の中の埋まっていた。私はそこで、ダンゴ虫を捕まえてみたり、花を観察してみたり、家庭菜園のトマトをこっそり食べてみたりして、日が暮れるまでそこで遊んでいた。小さな庭には、この世界の全てがあるような気がして、自分がその世界で一人優雅に遊んでいる感じが子どもながら楽しかったのだろう。

なぜかその庭には他の子どもや大人が誰もいなかったから、毎日のように遊びに行ったのは私だけだと思う。たぶん、ほかの人から見たら、毎日何一つ変わらない、小さくて寂れた平凡な庭だったのかもしれない。けれど、私にとってそこは、世界の全てで、自分の全てだったと思う。

貝殻が土に埋まっている理由を私は想像した。きっとこの辺りは昔は海で、海が干上がってできた名残なんだとか、想像するのが楽しかった。ダンゴ虫がなぜこの庭には多いのか。きっと、私みたいに小さな庭でのほほんと暮らすことを夢見て移住してきたに違いない。自分だけのストーリーを作り上げるのが楽しくてしょうがなかった。

今思えばこのころから性格的にひきこもりで、世界が自己完結してそれで満足する性分は変わらないのだろう。今の生活も気が付くと「小さな庭」の延長線上にある気がする。

小さなアパートに暮らし、所有物を限りなく少なくし、いつもと少ししか変わらない会社で、少しの変化を楽しみながら仕事をしている。この行動パターンはいつも一緒で、転職したり引っ越したりしても、何も考えなくてもいいぐらいパターン化することについては、ものすごく神経を使っている気がする。何も考える必要はないぐらい習慣化し、少しずつ変化していく日常を楽しんでいる。

0歳からやっていることは一緒だと思うと、不思議た。物語には私が死んでも続いてくように、終わりは無いのだと思う。